栗城史多(登山家)の指再生や企画来歴まとめ!下山での死因や結婚と嘘つきの理由とは?

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登山家の栗城史多さんが、
2018年5月21日にエベレストを下山中に
低体温症によって亡くなりました。

そこで栗城さんの経歴や学歴、
指再生や企画来歴について、
結婚や嘘つきについてまとめてみました!

栗城史多さんがエベレスト下山中に死去

5月21日にエベレスト登頂に挑戦していた
登山家の栗城史多さん(35)が下山途中に
亡くなりました。

死因は低体温症ということで、
過去の登山では、凍傷により
指を9本もなくしたことも。

事務所によると、
5月21日にエベレスト登山に挑戦し
栗城史多さんは標高7400m地点で
体調不良になったそう。

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ベースキャンプに下山すると連絡した後、
無線に応じなくなったので、
標高6400m付近の「キャンプ2」にいた
ネパール人シェルパが捜索に向かった所、
下山途中で死亡している
栗城さんが発見されたそうです。

ちなみにシェルパとは
エベレストやヒマラヤなどの登山で
同行する一員として荷物の運搬や
案内をしてくれる人
です。

元々はネパールの少数民族のことで、
ヒマラヤ登山が活発になると
高地に順応したを身体能力を買われて
ガイドとして雇われるようになったことから
民族名が案内人としての仕事名になったようです。

栗城さんは今回で
8回目のエベレスト挑戦
4月17日に日本を出発して、
5月22日に頂上を目指す予定だったそうです。

では、指をなくしながらも
8回もエベレストに挑戦した
栗城史多さんについて見ていきましょう。

栗城史多さんのプロフィール・経歴


名前:栗城史多(くりき のぶかず)
生年月日:1982年6月9日
出身:北海道瀬棚郡今金町
死没:2018年5月21日(35歳没)
出身校:札幌国際大学
肩書き:株式会社たお代表取締役

栗城史多さんは、
北海道出身で35歳であった
登山家の方です。

読みは「くりきのぶかず」
と読むんですね。

読めませんでしたw

学校は、北海道檜山北高等学校と
札幌国際大学の
人文社会学部社会学科を卒業しています。

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2002年の20歳の頃から
登山を始めたようです。

登山歴はこちら。

2002年:中山峠から小樽市の銭函までの雪山。
2004年6月:マッキンリー(北米最高峰 標高6,194m)登頂。
2005年1月:アコンカグア(南米最高峰 6,959m)登頂。
2005年6月:エルブルース(ヨーロッパ最高峰 5,642m)登頂。
2005年10月:キリマンジャロ(アフリカ最高峰 5,895m)登頂。
2006年10月:カルステンツ・ピラミッド(オセアニア最高峰 4,884m)登頂。
2007年5月:チョ・オユー(世界第6位高峰 8,201m)登頂。
2007年12月:ビンソンマシフ(南極大陸最高峰 4,892m)登頂。
2008年10月:マナスル(世界第7位高峰 8,163m)に「無酸素」「単独」登頂したと主張。
2009年5月:ダウラギリ(世界第8位高峰 8,167m)登頂。インターネット生中継。
2009年9月:チョモランマ・北稜北壁メスナールート(世界最高峰 8,848m)登頂。体力の限界で7,950mで敗退。
2010年5月:アンナプルナ(世界第10位高峰 8,091m)登頂を目指したが、7700mで敗退。
2010年8月:エベレスト・南東稜ノーマルルート登頂7,750mで敗退。栗城隊のシェルパが1人死亡。
2010年12月:登山とインターネットを結んだ功績が評価され、ファウスト大賞を受賞 。
2011年5月:シシャパンマ(世界第14位高峰 8,013m)の登頂を目指したが体調不良で敗退。
2011年8月:エベレスト・南東稜ノーマルルート登頂したが敗退。同行スタッフのフリーカメラマンの木野広明が死亡。
2012年5月:シシャパンマ登頂。7000m地点到達前に進行が不可能になり敗退。
2012年8月:エベレスト・西稜ルートで登頂。7700mで敗退。
2013年11月から2014年1月:2012年に受傷した凍傷で両手指9本を切断。
2014年7月24日:ブロード・ピーク(世界第12位高峰 8,047m)登頂。
2015年8月:エベレスト・南東稜ノーマルルートからの登頂。サウスコル付近で敗退。
2016年5月:アンナプルナ、6300mで敗退。
2016年9月:エベレスト登山。7400mで敗退。
2017年春:エベレスト登山。ネパール側ノーマルルートの6800mで断念。
2018年5月21日:8度目のエベレスト単独登山中に体調を崩し標高7400m付近より下山中に死亡。
出典:Wikipedia

20代前半からいきなり
標高6000m級の山に挑んでいますね。

かなり級ですよね。

これを見ていて驚いたのが、
これまでに同行者が2名も
亡くなっている
ということです。

1人目が、2010年8月のエベレスト登頂での
栗城隊のシェルパ

2人目が、2011年8月のエベレスト登頂での
同行スタッフであったフリーカメラマンの
木野広明さん

最終的には、自身もエベレストにて
亡くなってしまいました。

テレビで栗城さんのお父様が
インタビューに答えていましたが、
好きな登山で亡くなったのは
彼の本望だったのではないかと。

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35歳という若さですが、
8度もエベレストに挑戦するなんて
その度胸は本当に凄いと思います。

しかも5度目のエベレスト登頂で
指を9本もなくすはめになるほど・・・

それだけ山に掛ける思いが
強かった人なんでしょう。

栗城史多さんの指が再生?

栗城さんのことを調べていると、
なんと「指 再生」という
キーワードがありました。

このワードだけで
そんなことありえるの!?
と思いましたが、
まずは調べてみました。

まず、栗城さんは5度目のエベレスト登頂
によって9本の指が凍傷になりました。

その理由としては、
スマホと触るために、
穴開き手袋を着用していたから
だそう。

ちなみにエベレストの気温は
山頂付近で平均-25度ほどで
ベースキャンプでは-7度ほどだそうです。

そんな状況の中、
穴開き手袋を着用して
外に出ていたなんて
ちょっとやばすぎます。

しかも、凍傷になったのにも
関わらず登り続けたそうなので
それは悪化しますよね。

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しかし、凄いのがここからです。

栗城さんは凍傷によって
第2関節から指先が切断される
見込み
になりました。

そこで指の再生治療
専念しはじめます。

まずは、インドにて
血管拡張剤を使用したり
高気圧酸素の治療をしたそうです。

しかし効果は得られませんでした。

そして8週間しても切断しなかったために
指が腐ってしまったようです。

それでも諦めず、
様々な治療を試します。

指が生える魔法の粉や
アメリカの再生医療、薬草、
幹細胞再生医療などなど・・・

しかし、どの治療も効果がなく、
最終的に第2関節から切断しました。

彼の凄いところは、
ネガティブにならず、ずっと諦めないで
再生治療をしようと頑張っていたところです。

普通はすぐにでも切断しますよね・・・

指も痛いでしょうし・・・

登山するにあたっても
指は必要でしょうから、
特に大事だったのかもしれませんね。

栗城史多さんの企画まとめ

栗城史多さんを調べると、
「企画」というキーワードが
あったので調べてみました。

すると今回8回目のエベレスト登頂で
その後AbemaTVで配信する予定だったそうなんです。

こちらのツイートにもあるように
AbemaTVの生中継は難しくなりました。

今回のエベレスト登頂に関しては
AbemaTVが関わっていたんですね。

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色々と他にも準備があれば、
亡くなることはなかったのかも
しれませんね・・・

他のユーザーからは、
AbemaTVにも責任があるという
意見の方もいるようです。

どちらにせよ、
栗城さんはいずれエベレスト登頂を
していたのだと思いますが
AbemaTVが関わることによって
撮影機材が必要だったりと
普段より荷物が重かったりと
していた可能性もありますし。

ちなみにエベレスト登頂は
今回で最後の挑戦だとしていたそうですよ。

栗城史多さんは結婚して嫁や子供がいる?

こちらに関しては、
結婚していないということが濃厚なようですね。

これだけ登山にかけていますから、
結婚していては、自由に動けないですよね。

登山をはじめたきっかけも
彼女に振られたからという
噂もあるようです。

かなり自由に生きているようですから、
結婚に向かない人だったのかも
しれませんね。

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栗城史多さんが嘘つきと呼ばれる理由とは?

こちらは、2008年10月にマナスルという
世界7位の高さの山に登頂した時に
「単独」「無酸素」で登頂したと主張しました。

しかし、このことが、
ヒマラヤン・データベースや
日本山岳会から登頂を認定されませんでした。

理由としては、栗城さんは、
他者が設置したロープを使って登頂したり、
登山客が溢れているために先を行った人が
雪道を踏み固めて歩きやすくなっていた
状況で登頂したことなどです。

つまり単独ではないということですね。

1995年にエベレストの無酸素・単独登頂に
成功したイギリス人女性の
アリソン・ハグリーブスさんは、
固定のロープは使用をしないこと、
他の隊から勧められた紅茶も
全て断っていたとのことでした。

それに対し栗城さんは、
それだけの内容をしていなかったとして
認定されなかったようです。

しかし、栗城さんは自らのことを

「日本人初となる世界七大陸最高峰の単独無酸素登頂に挑戦している」

とマスコミ向けに発言していることで
「嘘つき」と言われることとなったようです。

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協会に認定されていないのに
そう言っているのが
一般的に嘘つきだと言われる所以なのしれません。

まとめ

それにしても8回もエベレストに
登頂したのは凄いことですよね。

20歳から35歳までずっと
山に挑戦し続けているのは
本当に凄いですよね。

嘘つきだと呼ばれる部分もありましたが、
実際に登山している経験自体は物凄いと
思いますからそこは褒めるべきところですよね。

それでは。

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