【日光東照宮・陽明門】オランダ西洋の技法や日光の地を選んだ理由、彫刻に刻まれた徳川のメッセージとは?



テレビ「美の巨人たち」で紹介される『日光東照宮・陽明門』ですが、4年に及ぶ修復で2017年3月に金色が蘇り、華やかさを取り戻しました。

番組内でも紹介される、『日光東照宮・陽明門』の門にまつわる西洋の技法や徳川が江戸ではなく、日光の地を選んだ理由、そして彫刻に刻まれたメッセージについて調べられるところまで調べてみました。

日光東照宮・陽明門とは?

出典:https://ja.wikipedia.org/

まず日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)とは、元和3年(1617年)に栃木県日光市で造られた神社で、徳川家康を神格化した東照大権現(とうしょうだいごんげん)を祀っています。

歴史の背景としては、源義朝の日光山造営まで遡り、鎌倉幕府や関東公方、後北条氏を通じて、宗教的権威となっていたらしいです。そして、この歴史から徳川氏は東照宮を造営したと考えられています。

そして、『陽明門』(ようめいもん)とは、表門から参道を進んだ先にある門で、国宝と指定されており、508もの彫刻が施されています。

名前の由来は、平安京の大内裏(だいだいり)の外郭十二門のうちの一つである陽明門に由来すると言われています。大きさは、間口が約7m、奥行が約4m、棟までの高さが約11mとされています。中々の大きさですね。





門のフォルムに使われた西洋の技法とは?

調べてみた所、この時代は、鎖国時代であり、西洋の文化は日本には渡ってなかったらしいのいですが、唯一、出島だけ西洋ではオランダのみ交易が許されていたと言います。

最近では日光東照宮陽明門に油絵蒔絵で絵が描かれていることが発見されたということで、陽明門にある絵?(彫刻)には、オランダの技法が使われているということでしょう。

更にここにある、灯火をつけるための照明器具である「釣灯籠」や「阿蘭陀灯籠(おらんだとうろう)」もオランダから奉納されたと言います。

なぜ家康は江戸ではなく日光に?

出典:https://ja.wikipedia.org/

調べてみると、家康の遺言から、日光に祀られることになったらしいのです。

「遺体は久能山に納め、(中略)一周忌が過ぎたならば、日光山に小さな堂を建てて勧請し、神として祀ること。そして、八州の鎮守となろう」と残されています。

自分を神として祀るだなんて言えるのはすごいことですね。

先ほどの「八州の鎮守」とは、日本全土の平和の守り神でもあり、家康は、不動の北辰(北極星)の位置から徳川幕府の安泰と日本の恒久平和を守ろうとしたと伝えられているらしいです。

ちなみにここでいう北極星の位置とは、本殿前に設けられた陽明門とその前の鳥居を中心に結んだ上空に北辰(北極星)が来るように造られているらしいです。

さらに八洲とは、江戸時代の関東地方は関八州と呼ばれ、武蔵国、相模国、上総国、下総国、安房国、上野国、下野国、常陸国の八国とされることからこう言われています。





508もの彫刻に刻まれたメッセージとは?

出典:https://ja.wikipedia.org/

日光東照宮の社殿は、500以上もの彫刻が施されています。

これらの彫刻はただの装飾ではなく、徳川家康を「神」として祀り、さまざまな意味を担っていると言います。

「琴棋書画」(琴、囲碁、書道、絵画の4つの技芸)を表したもの。周公旦と孔子にまつわるもの。仙人(中国の道教思想における理想的人物)を題材にしたもの。数え切れない彫刻の数にそれぞれの意味を持っています。

彫刻の意味を調べて、実際に行ってみると、歴史的背景を感じながら彫刻を見ることができると思います。

まとめ

これだけの彫刻を彫るなんて当時の職人は相当ですね。

かなりの年月をかけないと修復もできなかったので、造るとなれば相当だったことでしょう。

国宝をぜひ、一度見に行ってみて下さい。



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